Suguru Ito • les mains ©︎ Jean-François Réveillard
Notes 1 音楽
ピアノ奏法の断片/Clavicembalo o Piano-Forte/Character first, ability second/ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル ©︎ Suguru Ito
« 序 »
手の大きさやらなにやら、そういうことはどうでもいい。ここだけの話、小さいほうが便利なんだが、ま、しなやかな手であればそれに越したことはない。
何よりも肝腎要は、歌うことが好きであること。鼻唄でも口笛でも良い。歌える者には楽器を授けて間違いない。
« ピアノ »
ピアノは出来る限り柔らかく調整された楽器が好ましい。鍵盤が重く打鍵の硬いものは指にとっては拷問以外の何ものでもない。名器と呼ばれるものは、息を吹きかけただけで鍵盤が下りてくれるような楽器のことをいうのだから。
« 座して名人 »
まず椅子に腰掛ける稽古から。腹は暖かくないとだめ。ピアノと身体との正しい距離は思いのほか重要となる。近づき過ぎず、離れ過ぎず。腰は常に一大事。腰から首までの線は、ちょうど立っているときと同じに。両足は踵からきちんと床に着いていること。肘と鍵盤がほぼ一直線になるくらいがいい。肘が鍵盤より低めに座る者もいるだろう。人それぞれ身体の造りが異なっている点を忘れぬよう。
立派に座れぬ者、一音たりとも弾くべからず。
さあ、座れるようになったら、そろそろ手を鍵盤の上に置いて、表面をそっと愛撫してごらん。
« 落下練習 »
最初に親指と小指で二つの音を同時に鳴らしてみよう。インターヴァルでいうところの五度(または四度)が一番適している。
鍵盤の上で直線上に用意された親指と小指が垂直に立つよう、手首を引き上げる。親指と小指はこのとき、指先が必ず鍵盤の表面に触れていること。手は手首によって引き上げられているとはいえ、中身は弛緩している。肘を張ったり、肩を上げたりしてはならない。腕の感覚は歩いているときのそれに等しい。
用意周到なら、手首を鍵盤に向かって落とす。原理は、スピーディに落下すれば響く音はフォルテ。ゆっくりと落下すればピアノ。フォルテの場合でも音質は決して暴力的ではない。どうか朗々として豊潤なフォルテを!
この練習、手首と手の用意からその後に続く落下(=着地)に至るまで、じっくりと日数をかけて行なう必要がある。五度の二和音が鳴った瞬時に手首も含め手全体が脱力していることを確認せよ。このときの手の心境、鍵盤上に寝ているが如し。
これが楽にできるようになったら、そのあとは一本一本の指をやはり同じように手首を使って落下させる。
これまでの鍛錬に要する時間は大抵、2ヵ月から3ヵ月であろう。一音弾いたあと、指・手首・腕、そして上半身に至るまで完全に力が抜けている感覚を培うことは、ピアノを弾く上でもっとも大切なことなのだ。
一音を弾くこと、それは解放である。
« 音階 »
巻貝や螺旋階段の形状は、ピアノでスケールを奏でる際の手の構えと一致するし、鉛筆や箸の持ち方に結びつく。スケールのとき手は真っ平らではなく、ゆるく握られた傾斜状態にあり、重心は小指側になければならない。あとは「こちょこちょする」ように指先の第一関節が動くこと必須。
(続く)
From today's perspective it is difficult to imagine that many of Beethoven's piano sonatas were either written for harpsichord or fortepiano. Sure, at that time many only had a harpsichord at home instead of the newly developed fortepiani. Even if Beethoven considered the fortepiano to be an authentic instrument for his sonatas, he had to list the "harpsichord" in the title, at least in order to remain faithful to society.
Indeed, the interpretation of his piano sonatas such as Grande Sonate Pathétique or Sonata quasi una fantasia - known as Moonlight Sonata - on the harpsichord makes it much more exciting in reference to the phrasings through agogics (!), without which the whole thing would only act mechanically like an automaton.
We pianists could learn enormously from the harpsichord, on which we would need to shape a phrase a lot more freely and clearly, most notably with regard to the sence of time, since just before or after or even during a phrasing there should be countless possibilities to distinguish something for each single instance of execution. Herein lies the true meaning of the tonal art.
Today's trend is quite so far that everyone plays metrically very precisely, technically anyway, but hardly individually in the art of phrasing. A bit hyperbolic, but everyone and his dog is something like an exemplary bureaucrat of the notation. We have to learn more to deal with the musical time and to be courageous to draw the most expressive rubati from our own perceived timing.
One other thing.. I have to honestly confess to both today's harpsichord players and pianists that I've been missing lately that you guys are playing Johann Sebastian Bach in a more imaginative and inspired way. Everything sounds even, but nothing more than that. Where has the artistic freedom gone? (No wonder that the robot and similar stuff shall give concerts soon. Do we really appreciate that?)
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Photo ©︎ FAE|The first version of bars 161-166 in the 3rd movement of the [original title] SONATA quasi una FANTASIA per li Clavicembalo o Piano-Forte composta e dedicata alla Damigella Contessa Giulietta Guicciardi da Luigi van Beethoven Opera 27, No. 2 • published in 1802, Vienna
My violinist friend (& her cat) sent me an old video of me playing Mozart's "Coronation Concerto" K. 537 somewhen around the age of 12 - during an evening concert at the annual Suzuki Summer Camp.
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https://vimeo.com/405850053
(1:56 from Mozart's "Coronation" with my own cadenza)
My childhood was surrounded by lots of music and daily exercises that took, without exception, 7-8 hours under the control of my exceedingly strict father. Still, if I could, I would love to go back to that time!
As a student of the Suzuki Music School in Matsumoto, founded by Shinichi Suzuki (1898-1998), I often met this great humanitarian and master of early childhood education.
Shinichi Suzuki has many incredible episodes. One of them deeply impressed me. When the french pianist Alfred Cortot (1877-1962) gave a recital in Matsumoto in November 1952, Suzuki suggested to the concert organizer whether he and several students from his class could meet Cortot briefly in order to worship him with a short string ensemble, which was unfortunately rejected. However, that did not matter. After Cortot's wonderful recital on November 3rd [in the Program; Mendelssohn: Variations sérieuses Op. 54, Schubert: Moments Musicaux D. 780 No. 4, Weber: Aufforderung zum Tanz Op. 65, Chopin: Ballade Op. 23 / Nocturne Op. 15 No. 1 / Valse Op. 70 No. 1 / Tarantelle Op. 43 / Polonaise Op. 53, Schumann: Kinderszenen Op. 15, Liszt: Rhapsodie hongroise No. 2], the next morning Suzuki took his young violin students to the Matsumoto railway station and then dedicated Bach's D minor Double Concerto to Alfred Cortot at the platform! The legendary French musician sitting in his seat on the train before departure, was wordlessly moved and reportedly said: "In this city I should have visited these amazing children first! And in Tokyo I will tell the Prime Minister what I have experienced here." (The fact that Cortot didn't know yet was that the average politician in Japan, embarrassingly including the Prime Minister as well, had no particular interest either in European music or in-country cultural developments..)
Another important person to be mentioned from that era of my life is my piano teacher Haruko Kataoka (1927-2004), who will remain unforgettable forever.
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Photo @ Music School Matsumoto with Dr Shinichi Suzuki in 1977 - "Character first, ability second" (一に人物、二に技量) was the mantra of this old master‘s life.
女であるがために稀代の異才が抹殺される理不尽は音楽史においても例外ではなく、その不当にも程がある。ドイツの大作曲家フェリックス・メンデルスゾーン(1809〜1847)にファニー(1805〜1847)という4歳年上の姉がいたことを我々はかろうじて知っていても、彼女の人生と音楽について語れるのかと問われれば、答えは否である。
裕福な銀行家とアマチュア・ピアニストの長女として生まれ、若くして著名な教育者たち(フランツ・ラウスカ、カール・フリードリヒ・ツェルター、マリー・ビゴー、ルードヴィヒ・ベルガー)の薫陶を受けピアノと作曲法に熟達した神童ファニー。皮肉なことに、思春期を過ぎる頃になると最愛の弟フェリックスの華々しい活躍の影に追いやられてしまう。女性の天職は “主婦たること” にあると真顔で説く父アブラハムの手紙を彼女はどんな思いで読んだのだろう?
「いくらお前の天分が優れたものであろうと、またお前がフェリックスと肩を並べる技量を持っていようと、弟に音楽家の道を譲ることに異存はあるまい」
あの時代の理念に従うなら、女性にとっての音楽や文芸は少女時代に習得される教養の一部でしかなかった。
1829年秋、24歳のファニーは画家のウィルヘルム・ヘンゼル(1794〜1861)と5年に及ぶ遠距離恋愛を経て結婚、ひとり息子のセバスチャン・ルードヴィヒ・フェリックス(1830〜1898)を出産した。3つの名前はファニーが敬愛して止まない3人の作曲家にちなむ。さいわい夫からの精神的な支えもあって、引き続き私的な音楽活動に専念することは叶ったのだった。
ベルリンのライプツィヒ通り3番地にそびえるアブラハム・メンデルスゾーン邸(註:1737年に建立された一種のバロック宮で、1825年から26年間メンデルスゾーン家が所有したあと国が買い取り、1899年に撤去された。現在、その跡地には連邦参議院議事堂が建っている)は結婚後もファニーの住居に変わりはなく、300人は収容できる大広間や広大な庭園に建てられたガーデンハウスで定期的に催される “日曜音楽サロン” は彼女にとって唯一の公開演奏の場となった。来賓客を調べると、シューマン夫妻、カール・マリア・フォン・ウェーバー、ニコロ・パガニーニ、フランツ・リスト、ヨーゼフ・ヨアヒム、ヘンリエッテ・ゾンターク、シャルル・グノー、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ、ハインリヒ・ハイネといった名前が見える。こうした名士たちの多くは出演者でもあったから、絢爛豪華なサロンの名声は瞬く間に広がっていった。そもそもファニーの出演が父親から許されたのは、音楽サロンが会員制にもとづくプライベートな企画だったからだろう。(註:彼女がピアニストとして自宅以外の公のコンサートで正式にデビューしたのは父アブラハムが亡くなってから3年後、1838年のことであり、33歳のファニーはフェリックスの『ピアノ協奏曲第1番 作品25』を演奏している。)
1831年から日曜音楽サロンの主宰者も兼任したファニーは同時代の新曲のほか、おもにバッハとベートーヴェン(『ピアノトリオ』、『ピアノ協奏曲』、『ヴァイオリン協奏曲 作品61』、『トリプルコンチェルト 作品56』、『ディアベッリ変奏曲 作品120』、『オペラ: フィデリオ 作品72』からの抜粋など)の再演に力を注ぎ、ときには指揮者としてグルックの『オペラ: オルフェオとエウリディーチェ』を上演したり、フェリックスの『オラトリオ: 聖パウロ 作品36』や自身の『管弦楽序曲』、『カンタータ』などオーケストラと合唱を伴う大規模な作品の演奏も手がけた。その傍らで、彼女がいかにフェリックスの良き助言者であり、固い姉弟愛の絆で結ばれていたかは膨大な数の往復書簡から垣間見ることができるのであるが、じつに不可解なことに、フェリックスはファニーの作品が出版されることには決して賛同しなかった。母レアに宛てた手紙では、ファニーの作曲活動への過大評価を戒めるような文脈が読み取れる。
「音楽界で作曲家として認められるには、次から次へと作品を発表できなければならないし、手慰み程度の1曲や2曲を公表してどうにかなるというものではないのです。しかしこのことについてファニーと夫のヘンゼルには何も言わないでください、誤解を招いてはまずいから」
結果的にファニーの音楽を正当に評価し賞賛を惜しまなかったのは夫だけだったのではないかという気がしてくる。1846年にようやく『6つの歌曲 作品1』と『ピアノのための歌曲集 作品2』が出版された際、ファニーは日誌にこう記している。
「やっとフェリックスから手紙が届いた。そして気持ちをこめて祝福してくれてるのだけれど、まあそりゃ彼にしてみたら胸の奥では了承しがたいものがあるのでしょう、でもその分、よりいっそう彼からの優しい言葉が嬉しい」
ちなみにベルリンの出版社から上記の作品1と2の打診があったとき、彼女はフェリックスにはいっさい相談していない。
1847年5月14日、フェリックスの『カンタータ: 最初のワルプルギスの夜 作品60』のゲネプロを指揮している最中に脳卒中で倒れたファニーが42年の生涯で残した作品は500曲を優に超えるといわれる。生前に公表された作品はわずか数曲。
突然の姉の死に憔悴したフェリックスは自作の出版社であるライプツィヒの老舗ブライトコップフ・ウント・ヘルテル社と交渉しファニーの遺作公開に踏みきる。こうして1850年没後出版された4曲のうち、死の年に書かれた『ピアノトリオニ短調 作品11』(草稿は紛失)は近年いろいろな奏者に取り上げられ頻繁に演奏されている。わたしも先週この遺作を弾く機会に恵まれた。各楽章の合間に舞台俳優のトーマス・ダグラスがメンデルスゾーン家の文通を朗読し、さらにプログラム前半にはフェリックスの『ピアノトリオニ短調 作品49』を演奏した。彼のトリオが名作の誉れ高いことに異論はない。しかし、深林にひっそり咲く大輪の花のように潔く生きたファニーのピアノトリオの慄くような第1楽章が鳴り響くと、その音のうねりが蔵する霊感と熱気のオーラは我々を圧倒し、会場に居合わせた誰もが無位無冠の天才作曲家に首(こうべ)を垂れたのであった。
二人の書いたピアノトリオの調性が同じニ短調であったこともシンボリックに感じるのだが、ファニーの死から6か月後、フェリックスもまた予期せぬ脳卒中で帰らぬ人となった。
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Photo ©︎ FAE|Fanny & Felix Mendelssohn - a concert under the motto « Feder & Bogen » with the German-British actor Thomas Douglas (reading) • Anna Tchinaeva (vn), Anna Tyka Nyffenegger (vc), Suguru Ito (p) • hosted by Zurich Chamber Orchestra on 17/6/2021 • Programme; Fanny: Januar (Klavierzyklus “Das Jahr”, 1841), Felix: Piano Trio in D minor Op. 49 (1839), Fanny: Piano Trio in D minor Op. 11 (1847), Six Mélodies pour le piano N° 2 Op. 4 (ca. 1835)
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