Suguru Ito • les mains ©︎ Jean-François Réveillard
Note 3 覚書
酒神礼讃/Always absent 常不在/鼠小僧次郎吉と跡隠しの雪など ©︎ Suguru Ito
元来、酒は甕に入れてあったものだから、世が世なら、ペルシアの酒神が11世紀にその四行詩で謳ったように、身罷りてのち骨が朽ちた頃合いを見計らって、その土から瓦を焼いてもらい、酒甕の蓋として「甦生」することも可能だったろう。
ー
酒豪で知られたチェロのムスティスラフ・ロストロポーヴィチ。俺も室内楽のレッスンを受けに最晩年の師のもとへ見参したことがあったが、扉が開け放たれたホテルのスイート、「お這入り」の声で、迷宮のような部屋をすすみゆくと、テーブルの中央に置かれた銀のワインクーラーのなかに1本のシャンパンが恭しく安置されていた。
ロストロポーヴィチが真冬のシベリアで数人のお客を前にリサイタルをした折、休憩後、続きを弾こうと舞台に駆け上がると、長老とおぼしき紳士が「マエストロ、われわれのために凍てつく公会堂での見事な演奏、存分に拝聴申した。さあ、もう終わりにして、呑みに行きましょう」(笑)
ソヴィエト時代、旧ゴリキーのフィルハーモニーに客演したロストロポーヴィチは、リハーサルのあと楽団員のアパートで催された盛大な酒宴に招かれ、挙句の果て、そこにある全種類の酒を混ぜて呑む技法(!)に興じた。翌朝のゲネプロではさすがにどの強者も息苦しく、ロストロポーヴィチもふらふらとオケの真ん前のソリスト用の椅子までたどり着いたのだが、座って楽器を持つと、炎のようなドヴォルザークの協奏曲を弾き通した!
ー
大ヴァイオリニストで作曲家ヨゼフ・スークをしてヴァイオリンの神と言わしめた名人ヤルカ・シチュパーネク(1905〜70)はしばしばリサイタル開演時刻を過ぎても現れず、みんなで捜しに行くと、案の定、会場地下の酒場で泥酔。満席のお客が待つ舞台へなんとか担ぎ上げると、ピアノに寄りかかりながら、次から次へと難曲を完璧に奏でた。
若いころは、朝起きると大瓶の葡萄酒と黒パンを持って練習部屋にこもり、終日出て来なかった。チェコフィルの入団試験では、酒代捻出のためヴァイオリンは質屋に預け、手ぶらで登場。何を弾きますかという審査員の問いに、どの曲が聞きたいかと逆に尋ねた。
シュチュパーネクの演奏スタイルもきわめて独特のもので、弾きながらステージをどしどし歩いたという。
ー
フランツ・リストにも酒にまつわる武勇伝はいくつもあって、その一つが1846年プラハでの出来事。親友エクトル・ベルリオーズと共に来賓として列席した晩餐会で、最初から急ピッチでシャンパンを呑み出し、スピーチをお願いされた時にはすでにしどろもどろ。さらに呑み続け、夜中2時過ぎ、ベルリオーズに抱えられてホテルへの帰り途、酔っ払いとすれ違いざま口喧嘩になり、殴り合いが始まるすんでのところで、ベルリオーズが身を張って制止したおかげで大事には至らず。
翌日、リストにはコンサートがあったのだが、開演30分前(!)まで爆睡。ホテルの支配人に起こされたあと、馬車で会場まで送られ、ちゃんと定刻に演奏開始したらしい。客席のベルリオーズは深い感銘を受け、それは今までどこで体験したこともない演奏であり、彼こそピアニストの神である、と叫んだ。
ー
演じながら酔って寝てしまう伝説の人といえば、古今亭志ん生と高田渡。すでにお客がそれを待っている次元にまで「生きざま」が昇華した。
切っても切り離せぬ「業」を持つ事、それが真の至芸というもの。たとえば、若山牧水から酒を取ったら、もぬけの殻。
ー
ひとまず〆にしよう。幼少期より不変の座右である『古今亭志ん生・びんぼう自慢』から大好きな一節を引用し悦に入る自分を祝そうと思う。
それから、そのちょいとあとの話になりますが、音羽屋さん(六代目尾上菊五郎)と、なにかの用事でお会いしたら、「ないしょで呑ませるところがあるから、いらっしゃい」てんで、銀座のある寿司屋へ連れてってくれた。表からじゃない、裏からです。旦那が、縁の下から大関の一升びんを取り出して、冷蔵庫からマグロのトロのところなんぞ出して、ならべてくれた。その時分、こんなのとは絶えて久しいご対面だから、あたしはついうれしくなって、盃をついつい重ねましたよ。そのうちに、
「師匠、そんなに、大丈夫かい?」
「なァに、あとは、みんなヌキにしますよ」
「こんやは、放送があるんだろう」
「ええッ、放送ですか?」
「新宿の末広から中継があるから、ぜひきいてくれって、さっき、君がいったろう」
「いけねえ、いま、何時です?」
「六時すぎだよ」
「そりゃァ、大変!」
てんで、あたしは飛び出した。中継は七時からなんですよ。その時分は、いまと違ってテープでさきに取るなんてえことをしない。ナマ放送てえ奴です。のりものだって、流しの自動車なんぞめったにいない。市電は時間をくうし、地下鉄はのりかえがある。省線にのって新宿まで行って、末広ヘかけ込むてえと、もう放送がはじまっていて、誰か前に出て一生懸命につないでいる。
「志ん生さんが来たよッ」てんで、あたしはすぐ高座に出たが、ちょうど酔いが回って来たところだから、何をしゃべっているのか、自分でもさっぱりわからない。
「師匠、こん夜のはなしは、一体、何て題です?」って楽屋の連中からきかれたが、本人のあたしがわからねえんだから、ほかの人にわかるはずがない。酔いがさめてから、放送局の人に、面目ないったらなかったですよ。
➖
Photo: Hidden Valley Wines in South Africa ©︎ P.R.
The nameplate on the mountain villa in Tōmi (Nagano) where the nomadic novelist Tsutomu Mizukami lived until the end read: ALWAYS ABSENT.
"There will be no need of announcing my death. If anyone asks, reply, 'Well, he is already gone.' That is all."
These are the words Lafcadio Hearn told his wife Setsuko a week before his death at the age of 54. The Greek-born, Irish-raised poet, known also by the Japanese name Yagumo Koizumi, immigrated to Japan in 1890. Ghost Stories such as "Mimi-nashi Hoichi," "Mujina," and "Chin-chin Kobakama" are some of Hearn's most legendary works.
By the way, my will is the same, so of course there is no need for any kind of funeral.
"It is good to die when it is time to die. This is a great way to avoid misfortune," reads a passage from a letter written by the Japanese Zen master and poet Ryokan Taigu.
In Europe, cicadas are only known in the south. Life would be dull without hearing their chirps. In my childhood in Japan, I used to stare intently at the larvae as they appeared on the ground at summer dusk and completed emergence before dawn. Sometimes the larvae are in danger of not emerging properly. Even if the flight does not come to fruition, it is still a courageous and moving conclusion to the great dream of flying.
Among all the toasts passed down throughout the ages, past and present, the most unique is the version by Taro Okamoto;
"If you drink this, you will die. Cheers!"
➖
Photo ©︎ Suguru Ito|Daikon radish blossoms and spider's threads in the early morning, how ephemeral, but all the more lovely!
万里波濤の孤客、水上勉翁が終の棲家とした長野県東御市の山荘の表札が「常不在」だった。
「私死にましたの知らせ、要りません。もし人が尋ねましたならば、はああれは先頃なくなりました。それでよいです」ラフカディオ・ハーンが五十四歳で亡くなる一週間前、妻節子に語った言葉。ちなみに俺の遺言もこれと同じで、無論、葬儀の類いは一切不要。
「死ぬ時節には死ぬがよく候、是ハこれ災難をのがるゝ妙法にて候」とは良寛大愚和尚が書いた手紙の一節。
蝉は南仏や南欧以外のヨーロッパでは馴染みが薄い。あの歌声が聞けない人生も味気ない。薄暮迫る地上に姿を現し、夜明け前に羽化を終える幼虫を神社で凝視した昔日。ときには羽化不全の窮境に出くわす。たとえ飛翔かなわずとも、それも浮生若夢の貴い完結。
そして古今東西に伝わる乾杯音頭のなかで最もユニークなのが岡本太郎翁によるバージョン。
「この酒を呑んでしまったら、死んでしまうと思え、乾杯」
➖
Photo ©︎ Suguru Ito|早朝の大根の花と蜘蛛の糸、はかなくも愛らしい!
ギリシア神話に出てくる Ἑρμῆς/Hermēs(ヘルメース)が旅人や泥棒の守護神だと知ってうれしくなった。
十両盗れば首が飛ぶといわれた江戸文政の頃、表では茅場町の和泉屋次郎吉として魚屋を営み、裏にまわれば大名の手元金を盗み出しほうぼうの貧しい庶民に恵んで歩いたという伝説の義賊、鼠小僧次郎吉(1797-1832)がいた。フランツ・シューベルトと同年の生まれだ。
最後、御用になってしまうが、自身の寒財布に持ち金は一銭もなく、親族には離縁状を送っていたから、誰も巻き添えになる者はなかった。
初秋の清風吹く江戸の市中引き回しを悠然と歩き、打首獄門に処された。
ー
そういえば、幼少期に読んだ『跡隠しの雪』というお話が忘れられず。
冬の夜、旅人が老夫婦の荒屋に一夜の宿を乞う。自分たちで喰うものもないほど貧しく.. ええい儘よ! 爺は隣りの地主の畑に忍び大根を盗み旅人に振る舞う。旅人感涙。
地主の菜園から老夫婦の戸口へとつづく雪上の足跡、明け方から降りしきる新雪はしづかに消してゆく。
ー
2017年春の信州安曇野教会でのピアノリサイタル。どういう人が聞きに行っていいのかという問い合せがきたから、こうお答え申し上げた。
「お年寄り、子どもに赤子、堅気にアル中、浮浪者大歓迎、あと無論、泥棒も。要するに、どなたでもおいでください」
音楽会のお客とは、本来、神々に鎮座願うところを(氏神、酒神、縁結ノ神、そしてとりわけ貧乏神は特等席へ)、それが叶わぬから、代理でお招きする来賓を意味する。
お客様は神様の如く尊しといへども、ゆめゆめ神様には非ず。
ー
まれにいるが、衣装のことしか頭にない共演者に告ぐ。ドレスで着飾る見栄よりも、肝腎要の '音楽' に心を配りなされ。目は誤魔化せても、耳は誤魔化せぬもの。
哲人ディオゲネスは襤褸を身に纏い酒樽を住処とし、名利や作法を嫌う葛飾北斎は終生、粗末な身なりに徹し、伝説の落語家、5代目古今亭志ん生は自身の真打お披露目も紋付袴を誂えず寝間着のまま務めた。
「紋付、羽織、袴でなきゃァいけねえのなら、大神宮のお札くばりかなんか呼んで、高座に上げりゃァいいでしょう。はなし家はナリじゃァない。芸できかせりゃァいいでしょう」〜 5代目古今亭志ん生
「能でも、装束能の前には仕舞がある。仕舞のいいものはハダカで舞ってもいい筈なのです。骨格の正しくないものが、装束つけたらよかったなんてことはあり得ない」〜 後藤得三
そうそう、北斎といえば、これまた散らかし放題の小さな借家に住み、たとえ大名や歌舞伎の花形からお呼びがかかろうとも応ぜず。地位や肩書きをかざす連中を毛嫌いした。そのくせ、部屋の中の蜘蛛の巣の主がいなくなると、大変な騒ぎようだった。
➖
Photo ©︎ FAE|Swiss winter landscape
powered by crayon